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-終章ー
2013 / 08 / 30 ( Fri )
母が亡くなって 1週間以上が経ちました。


正確にいえば 10日目


きのうは、 母の施設に最後の荷物の引き取りに行ってきました。


細々したものは 兄と義姉が既に運び終え、私は私が買い揃えた電化製品類を持ち帰り、部屋が空っぽになった状態で きょう兄たちが部屋明け渡しの書類上の処理を済ませたそうです。




まだ 母の死が受け止めれないというか、いまだ夢の中の出来事のようで・・・


いや しっかりと受け止めたくない自分がいるのかもしれません。


その一方で、時間と共に 母の死後 数日は感じなかった後悔の念がじわじわと湧いてくるのをどうすることもできません。




母が最後に過ごした場所に足を向けるということは


また 現実に引き戻されるということで 辛い作業でした。


お世話になったスタッフさんたちと 挨拶を終え
(母の死後、はじめて兄夫婦が行ったときは 8人くらいで出迎えられたそうです。)


実際に 母の部屋に入った瞬間


はじめて 現実を知ったかのように


胸が高鳴り 想像とは違ったある種の衝撃を受けました。


そこには もう ベッドもなく


母がそこで過ごした時間を 彷彿とさせるものはなんにも残されていませんでした。


私が持って帰る電化製品と家具だけが部屋の片隅に取り残されていました。



予想外に 母のなんの余韻も感じられなくて


それがまた虚しくて・・・


悲しくて・・・



そして なんだか急に 母がかわいそうに思えて どうしようもありませんでした。


ここには 母の生きた証がなんにも残されていないからです。


あまりにも短かったからでしょうか


2ヶ月あまり前、ここに来たあの嵐のような日の母を思い起こしながら


ひたすら 心の中で 母に謝りました。



もっともっと いっぱい母の世話をしてあげたら良かった。


もっともっと 頻繁に会いに来てあげれば良かった。


もっともっと やさしくしてあげれば良かった。


壁を見つめて・・・


母がいつも見ていたであろう窓の外の景色を見つめて・・・





母は 最後の夜


ひとりで吐血しているところを、2時間おきの見周りの時間にスタッフさんに発見されました。


自分の異変に気づいても、手元に備え付けの緊急用のベルを 自分で鳴らすことが理解できなかった母。


どれだけ 怖くて、心細かったことでしょう



出てくるのは ため息ばかり。


そして 後悔。  


後悔。


また後悔。



こんなふうになるのは私の性格上 予想の範囲内だったけど


だからこそ 後悔したくないと思って ずっとやってきたつもりだったのに・・・


自分には やさしさが足りなかったと・・・




介護のさなか、いつか 母に言われました。


「 あんたは ちっともやさしくない!! 」と。


一生懸命しているつもりだったので その言葉にむちゃくちゃ腹が立ったのを覚えています。


でも


本当に 母が言った通りだと思います。


私は 壊されていく自分自身を守ることに必死で 母を思いやるのは 二の次だったように思います。


確かに 私自身も あのときは必死で精一杯だったのだけど


もっともっと母を 死に物狂いで守ってあげれば良かった。


それほど 母は不安と恐怖の中で あえいで苦しんでいたのだから・・・


ひょっとして どこか冷ややかだったかもしれない自分自身を呪いました。




いえいえ


もう これを書きだすと エンドレスになってしまいそうで


もうやめます。


これは これから私の中で どう決着をつけるか私自身の課題ですから。。





事実として母が死んだこと。


そっち(母の視点)に切り換えます。




母は 多分 もう これ以上 生きたくなくなったんだと思います。


そう 生への執念を捨てたのです。



永遠に大好きな家に帰れない


歩くことが大好きで ショッピングが大好きで そんな母なのに もう二度と


自分の足で歩いて 買い物にも行けない


好物を好きなだけ バクバクと早口で食べるのが大好きだった母


それも もうかなわないこと


頭の回転が速く、人を口で打ち負かし、絶えず 自分が上位でいないと気が済まなかった母


それすら自信をなくしてしまった


手術の後遺症として 少しの可能性でもボケることを ものすごく怖れ、


放っておけば 命にかかわる胸部大動脈瘤の手術も拒み続けた母



ボケてまで生きたくない。。


ボケてまで生きたくない。。


これは 嫌というほど聞かされた


本当に徹底していました。



親子 どれだけ このことで揉め、あちこちの病院の医師ともケンカの連続


でも これは 


自分がボケて周りに迷惑をかけることを 極端に怖れたせいと 私は受け止めています。


母の深い深い 周囲への配慮。  愛情だったんです。


母は 人間に対して やさしさを表現することに とても不器用な人でした。


元々 シャイで 照れもあって やさしい言葉などとても言えない人


負けず嫌いで 強さばかりが前面に出てしまう人だったけど


でも その奥底には ものすごく深い深い愛がある人だと  私は知っていたのに・・・





なのに 


母は不本意にも 手術をせずともボケてしまいました。


最初の頃は その葛藤で 母も荒れて大変だったけど


最後の方は 自分でも ボケていること重々認めていて とっても情けなそうで可哀想でした。


ここ数年は


母は とても苦しんだと思います。


そうです  苦しめられていると嘆いている周りの家族の何倍も、何十倍も・・・


とても孤独だったことでしょう




亡くなる4日前に次女と面会に行ったとき
(この時 すでに 母は新しい施設にも慣れ、かなり穏やかになっていました。) 


母は なにか声をかけるたびに泣いていました。


「 おおきに おおきに 」


「 また来てな 」


私が誰かわかる?との問いには、孫の名前を答えたりして・・(笑)


「 AKKOやろ? 」と、私が言うと


「 A K K O・・・・ 」と 少し訝しげになぞりました。


でも すぐ


「 そんなもんわかってるがな! AKKOやろ? そんなもんわかってるわ! 」


って得意そうに言う強気な母。


そのときは 正直嬉しかった!   エヘっ(笑)



翌週には 施設で 家族で参加できるお買い物イベントがあって、服の販売をしてくれることになっていて


私も義姉も参加する予定でした。


そのことを言うたび 顔をくしゃくしゃにしてものすごく喜んでくれました。


数秒後には 忘れてしまうので 1回面会に行くと


そのことだけで 10回は母を喜ばせることができました。


でも その日は


くしくも母の葬儀の日となってしまいましたが。。



その日は


帰る時 母の手をさすると泣き


また来るからと言うと また泣き


今までで 一番弱々しい母でした。


母の中で なにか感じとるものがあったのでしょうか





母の死顔は とても美しかったです。


亡くなった病院でも 薄化粧をほどこしてもらっていましたが


葬儀場で 納棺の前に きっちりとお化粧し直してもらったときには


久々の母のメークされた顔が とても懐かしく思えました。


次女が 『 デヴィ夫人そっくりやん! 』と言ったときには


みんな大笑いしましたが


口々に 『 ほんまや  ほんまによう似てるわ~ 』と 納得。


それくらい 皺もなく頬は艶々で美しく高貴な雰囲気、そして やはりプライドの高そうな鼻先。


でも あまり茶々を入れてると 怒鳴られそうな・・・


最後の最後まで 威厳はしっかりと保っています。


怖い母のトラウマは みんな持ってますからね。(笑)




じっと顔を見ていると 母の声が聞こえてきそうでした。


最愛の両親、兄、姉、夫のもとへ


嬉しそうに無邪気にはしゃいで


子供のように バタバタと天を駆け上っていく母。



今まで(特に認知症になってから)の母の言動からして


母が待ち焦がれた瞬間に違いありません



「 お父ちゃ~~ん!   お母ちゃ~~ん!! 」


「 にいちゃ~~ん!   のぶちゃ~~ん!! 」


そして


「 お父さ~~ん!! 」


と、両手をいっぱい広げた満面の笑みの母。



私の脳裏には そんな光景が浮かぶのです。





やっと 迎えにきてくれて・・・




お母ちゃん 良かったね。。





葬儀を終えたときに 兄がポツンと言いました。


「 これで やっと あの頭はリセットされて もとに戻ったんやで 」と。


私も そう思います。


兄妹でしかわからない感情。  


いや 願望なのでしょうか・・


兄は 兄で相当苦しんだに違いありません。



義姉は 母が亡くなったときも、最後のお別れのときも 誰よりも声を上げて泣いていました。


最後まで面倒見てあげれなくてごめんねと泣いてくれました。


もう 誰にも罪はありません。




やっと 


母は幸せになれたのですから。





私と母の


長い長い親子という歴史に幕が閉じてしまいました。


今 思えば すべてが 大切な大切な時間であって、私の宝物になったような気がします。


最後の最後まで 母は いろいろなこと教えてくれました。



そして もう この世に 私の親は存在しません。


親が生きている瞬間が とてつもなく貴重な時間だったと 今 あらためて思い知らされています。




ただ 私は 棺の母に  何度も



「 ありがとう 」 と 「 ごめんね 」


を繰り返しましたが


生きているときに言ってやれなかったのが とっても心残りです。。






長々となってしまいました。



最後まで読んでくださってありがとうございます。





そして このブログを


いつもいつも あたたかく見守ってくださった方々


励ましてくださった方々、くだらない愚痴を聞いてくださった方々


しょうむない記事でも 役に立ったと感謝してくださった方々・・・




同じ時期に 同じ思いを背負った私たちは


永遠に同志ですよね。


見ず知らずの方たちなのに


ともすれば まるで あの思春期を共にした同級生のように


なつかしく思えてしまうから不思議です。


今後の皆様の 幸せで有意義な将来を心から望んでおります。




私も いつか 母に認めてもらえるように


仕事にも また親としても  


精一杯 頑張って生きていこうと思います。




最後にいつか


母と会えたとき


「 あんたなんか 大っ嫌いやねん! 」


なんて言わせない。




母に はじめて褒めてもらいたいから。。。







本当に本当に 長い間 ありがとうございました。





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20 : 58 : 09 | トラックバック(0) | コメント(16) | page top↑
きょう 母が亡くなりました
2013 / 08 / 20 ( Tue )
昨夜 今お世話になっている施設で吐血して 病院に緊急搬送されました。


持病の大動脈瘤破裂と思われます。


そして きょう未明 息を引き取りました。





お盆には 娘を連れて面会に行きました。


とても穏やかで 可愛い笑顔を見せてくれていたのに・・・



当然のことですが


今 まだ心の整理がまったくついてません


ただただ いつも見守って下さった方々に  取り急ぎご報告をと思いました。




母がそれほど苦しまなかったこと そして ものすごくきれいな顔をしていること。


それだけが救いです。



なにがどうあれ


母の存在は とてつもなく大きなものだったということを 思い知らされています。




これを書いている途中で


以前 2年以上お世話になった施設のケアマネージャーさんから電話をいただきました。



それまで


ほとんど泣かなかったのに  


お世話になったSさんの声を聞いて はじめて号泣してしまいました。


ケアマネさんが あやまってくださったからです。


最後まで お母様の面倒を見て上げれなくてごめんなさい  と。。。


本当に こんなに早いのなら


住み慣れた 施設で最後まで過ごさせてやりたかった


ふたりして そんな思いがあふれてしまいました。




あしたはお通夜


あさっては告別式です。


母に怒られないように頑張ります。



あれだけ 母を憎んでいた兄が 率先して 母のために頑張ってくれています。




よかった。。。




本当によかったです。。




やっぱし 親子って すごい!





皆様


いつもいつもありがとうございました。



また


落ちついたら じっくりと 書かせてくださいね。



















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17 : 44 : 12 | トラックバック(0) | コメント(20) | page top↑
母に会ってきましたけど。
2013 / 06 / 29 ( Sat )
先日 母に面会してきました。


注文していた防炎加工のレースのカーテンが やっと着いたので 届けたついでに です。。




そもそも まったく 面会するつもりはなくて・・・    


・・って、 これは 本心なのかどうなのか?




前の晩は 神経が異常に高ぶって 朝方まで眠れなかったということは


ひょっとしたら 場合によっては 母にも会うという気持ちも 心のどこかにあったのでしょう



自分の実の親に会うということが


これだけ 心が乱れて しんどくて 苦しいってことが  なんだか信じられなく情けなかったです。



いえ 約2年半前  母を施設にお願いした当初はそうでしたけど。。


面会に行くたび 母の口から出てくる言葉に どれだけ 神経がズタスタに切り裂かれたことか



でも その時は 母が可愛そうという気持ちがありました。


私自身も 母を看てあげれないという後ろめたさもありました。


だから 恐怖を味わいながらも  せっせと面会に通いました。


帰宅願望は 常にありましたが


それでも 徐々に徐々に 母も 慣れてきて 穏やかになってきて・・・


少し 安心できたのもつかの間 




仕切り直し。。



またまた


母の口から飛び出てくる鋭利な凶器のような言葉で どん底に突き落とされてしまいました。





なんにもやる気の起きない悶々とした日々が 過ぎていきました。



あの母のひとこと(あんたのことが大っ嫌いやねん!)だけが  ずっと 頭の中で リピート。 リピート・・・。。




でも


なぜか 母を憎むことはできませんでした。



なんなんでしょう?




むしろ 母のために なにかしてあげたいという気持ちが 常にあります。


あれを食べさせてあげたい  これを食べさせてあげたい


ショッピングセンターでは 無意識のうちに 母の似合いそうな服を探しています。


母のへやも もっと ああしてやりたい  こうしてやりたい・・・・




でも



会うのは  とてつもなく怖いのです。



あの口が怖いです。



また どんな鋭利な凶器が飛び出してくるかと・・・



私を見る あの憎しみに満ちた 母の視線も。



到底 今の私には どうしても 堪えられそうにありません




あの日の出来事(施設の移動日)で  私も 病人のようになってしまいましたが



義姉は義姉で かなり 母の言葉が応えたらしく 帰ってから寝込んでしまったと言っていました。




これだけ


口ひとつで みんなを苦しめられる母って・・・



ほんま ある意味 すごいことですね



口は介護認定の審査には含まれませんからね



恐るべし『要介護5』です。




だから


無理して 母に会う必要はないと思っています。



『 あんたのことが大嫌い!! 』 と言われた私が 


無理に会って、しんどい辛い思いをわざわざすることはないでしょう




ずっと そう思いこんで・・・   心に念じて・・・



母のいる施設へと向かいました。



先日 お世話になった新しいケアマネさんが出迎えてくださいました。


実は


何度も 母の様子を聞くために 電話で話しているので


あちらも 私の事情をよく知ってくださっていています。



少し離れたホールで にぎやかにデイサービスのリクレーションが行われています。


母も参加しているはずです。



ふと ホールに目をやると


車いすの母の後姿が見えました。


離れているのに・・・



やはり 自分の親ですもんね


すぐにわかりました。



そして


不思議なことに


あの小さな背中を無視して帰る なんてことは とてもできない


一瞬で 私の胸に そんな感情が押し寄せました。



それどころか


無性に 今 母がどんな顔をして座っているのか知りたくなりました。



早く言えば   


会いたい。。。


そういうことなのでしょう



ケアマネさんは  電話でも言っていたので


私は 面会せずに帰ると思ってらっしゃったかもしれません


ケアマネさんとお喋りしながら


でも 私の足は なぜか


どんどん 母のところへと向かっていました。


ケアマネさん ちょっとびっくりしたようです。


後で気付きましたが 母 すこぶる機嫌が悪かったのかもしれません


後で いまだに暴言が続いていることを聞きましたから。




磁石で吸い寄せられるように 母のそばに行きました。


母は リクレーションには参加せず、 同じ年くらいの女性と一緒に 別テーブルに座っていたのですが


会話はしている様子はありませんでした。


なんだか寂しい光景でした。



いつも 


以前の施設でしていたように


母の背中を ポンポンと叩きました。


そして  笑顔を作って 大きな声で


「 こんにちは~~ 」


と 声をかけました。



母は びっくりして振り向きました。


多分 険しい顔をしていたのでしょう


でも


その険しさが いっぺんに吹っ飛んだようです。


みるみる表情がほころんで 嬉しそうに顔をパッと輝かせたかと思うと


飛んできたセリフが・・・


「 ひやあ~~  来てくれたんかあ~!   良かったわ~~!!   連れて帰ってくれるんやな!   絶対に連れて帰ってや!!   良かったわ~  ほんまに   こんなとこ 知らん人ばっかりで どないしよう思っててんで!   あ~~ 嬉しいよ~   ほんまに絶対に連れて帰ってな!!  」


でした。


必死の訴えに、母が ずっと どんな精神状態でいたか 垣間見れましたが


どうしてあげることもできません。


ほんま泣きそうです。



でも


私のこと 覚えてたんやろか?  


聞いてみた。



「 私のこと 誰かわかるん? 」



「 ほんなもん誰だか知らんがな!  知らんけど・・・  連れて帰ってや!! 」



でした。



やはり 私のことはわからないらしいけど


とにかく身近な存在で 頼みごとを聞いてくれる人間と認識しているらしい。



思い出したら思い出したで  「 嫌い!! 」 と言われそうだから それでいいけど



もはや こうなると


5分と 母のそばにはいられません


母の気持ちが どんどんエスカレートしてくるからです。



「 ちょっと お部屋のカーテンつけてくるからね 」


と、言い残し 母のもとを離れました。



と同時に どっと襲ってくる疲労感。


やっぱしだめだわ。。。




母のへやに行って カーテンをつけました。


部屋をみまわすと 冷蔵庫の上には 前に持ってっきた手つかずのおやつ類。


冷蔵庫には 買い揃えたジュース類もそのまま。


また その日に持ってきたジュースも詰め込みました。


ここでは 基本 なんでも部屋のことは家族がするんでしょうね


動けない母には なにを持ってきてあげても


直接食べさせてあげないかぎり 無駄のようです。




そして母のベッドに座って しばしぼんやり考えました。


動けない母が この20日間 見慣れないこの部屋でどんな思いで過ごしたんだろう 


家族の顔すら忘れてしまって


なにを思い描いて生きているのか



いつか 他愛ないおしゃべりをしながら


好物を食べさせてあげる日が来るのかな などと



いや


すぐに そんな思いも打ち消されました。


下の階で


私が戻ってくるのを 今か今かと 必死で待っている母の姿が浮かんできて・・・




帰りは


エレベーターを降りて ホールの方には 目を向けず



さっさと 逃げるように 外に出てきてしまいました。






車に乗り込むと  単純に  ただただ ホッとしました。




完全に忘れ去られたせいでしょうか?



薄情かもしれないけど


前回より


また少し 母の存在がが遠くなったような気がしました。



次の面会はいつでしょうか?


しばらくは無理でしょうね


考えただけで また ものすごい重いものがのしかかってきそうです。



こんなに 面会のことで悩んでいる家族っているのでしょうか?




私が 母のへやにひとりで行ったとき


母の斜め向かいの部屋の女性と すれ違いました。


70代後半 もしくは80才くらいでしょうか


ものすごく穏やかな笑みを浮かべてらして 私に


「 こんにちは~ 」 と 挨拶してくださいました。


そして にこにこしながら 可愛く首をひねられて


「 どちらさまだったかしら~? 」


って。


ああ こんな人が 母だったら・・・


なんて 一瞬 罪なこと考えてしまいましたよ。




面会だけではなく


また この先  母が生きている限り  いろんな葛藤が生まれるんでしょうけど




今回は わけのわからない虚しさだけが残っています。


 



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20 : 51 : 29 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑
最悪の日
2013 / 06 / 05 ( Wed )
きのうは 母が新しい施設に変わる日。



一昨日には 買った電化製品やタンスなども届き


義姉と一緒に 半日かけて部屋の準備をしました。


明るくて広々した部屋には まだテーブルと椅子のセットも置けそうなスペースがあって 


また 来週の休みには 母の好きそうな家具を探しに行ってあげようなどと


あれやこれやと 思いを巡らせ


頭の中では 母の喜ぶ顔だけを思い描いておりました。





そして 引っ越し当日のきのう


義姉が 今 お世話になっている施設に出向いて ケアマネさんと共に 新しい施設に介護タクシーで来るのを


私は 新しい施設で待ち受けていました。


衣類や雑貨4箱、オムツ類2箱の段ボール6箱と共に 母が車椅子で到着しました。


たくさんのスタッフさんが 玄関で出迎えてくださいました。


母は 目をパチクリしながらも 嬉しそうな表情だったので


私は 内心ホっとしていました。



今までお世話になったケアマネさん、この施設勤務の新しいケアマネさん、そして、母の案内係には よく心得てらっしゃるようで 若い男性スタッフさん(笑) 


そして 義姉と私。


計6人で 部屋へと向かいました。


母の部屋は2階です。


母 エレベーターの中では すでに 笑顔が消え 怪訝な顔つきに・・・


だんだん


不信感がつのってくるのか


部屋に入るころには ものすごく険しい顔つきになっていました。



打ち合わせ通り こちらのスタッフさんたち 今までの施設の名前を口に
出して 同じ系列だし安心やで~ みたいなこと何度も言ってくれてはるのに


どんどん顔つきは変わっていくし


その変貌ぶりに 私は また 心臓がバクバクしだしました。



なにやらわめきだしました。




だまされへんで! 


なんで こんなとこに来なあかんねん!


部屋なんか見んでええ!


あんたら なに たくらんでるんや!


新しいスタッフさんたちには


わたしは あんたなんか知らん! 見たこともない!


なに言うてんのんか わけわからん!


帰して!


帰る!


なんで こんなとこ来なあかんのや!


部屋に着いても ずっとこの調子です。



だんだん 


激しさを増して 暴言の嵐です。


こちらのスタッフさんも 少々 怖じ気ついてきはったような??

(何度も 性格は 義姉からも伝わっているはずだけど)


そんなふうにも見てとれました。



でも 母は 不安でいっぱいだったのでしょう。


拉致同然に連れ去られた2年前が 母の中でよみがえってきたのかも知れません。



怒りと不安と恐怖でいっぱいの母。


ここに来た理由を、一生懸命に説明しますが まったく聞く耳を持ちません。


あげくには


△に血走った目で 部屋中を見回し



「 ここで 何人 死んだんや~!! 」


と怒鳴り散らします。


いや もはや絶叫!に近い


まるで 死人の顔が 母には見えているかのように目で追います。



古臭い部屋ならともかく


ここは 真新しくて真っ白で明るい広々した部屋です。


「 なに言うのん! ここは真っさらな部屋やで  ○○先生(今までお世話になった施設の院長先生)がここの施設も作らはったんやで  せっかく広いところができたから 移してくれはったんやで 」


母を安心させるため、その院長先生には こちらに移っても わざわざ月2回の往診をお願いしています。(こちらにも別の先生の診察があるのですが)


「 真っさらやないわ! いったい ここで何人死んだんや!! 」


また 宙に視線を舞わせます。


病院と思っているのか 老人ホームと思ってのことか 判断がつきません



「 もう帰してえや! こんなとこになんで連れてくるんや! はよ 車出して! 」


母は、義姉に怒りをぶつけます。



途中から 私は 母の荷物から衣類を取り出し、タンスに詰め込んでいました。


早く終わらせないと この場から 逃れられません。


どさくさの中で


義姉はケアマネさんやスタッフさんと打ち合わせを終え


しばらくすると 私と義姉と母3人になりました。



「 あんたらはなにや! ぐるになってからに! 」


「 はよ 連れて帰れ!! 」


「 なにしてんねん! なに詰めてるねん! そんな死んだ人のもん誰が着るんや! 」


自分の服の見分けなどつかないだろうけど 何度も 母の服だと言っても 違う!! らしいです。



あらかじめ冷蔵庫で冷やしていたジュースを勧めても


「 そんなもん 毒が入ってる! 」と言って口にしません。


家から スイカを切ってタッパに入れて持ってきて冷やしていたものを


フォークに突き刺して 口元へ運んでも


口を真一文字にして開きません。



義姉が 一生懸命母をなだめてくれますが


母は だまされるか!と 怒鳴り続けます。


「 はよ連れて帰れ! はよ車出せ! 」の繰り返し。



そして また 出ました!


「 ところで いったい これは誰やねん! 」


私をにらみつけながら 義姉に私のことを聞いているのです。


ショックでした。


やはり 私のこと 本気で忘れたようです。 



しまいには 私に向かって



「 化け物や! 死神や~~!! 」


と、言い出しました。


ほんまに 私 死霊に取りつかれたのかと 背筋が凍りました。


いや


こういう母親を見ていて そりゃあ ひどい顔をしてたのかもしれません。


でも


母親に忘れられるだけでもショックなのに 化け物扱いされるとは・・・(涙



・・で 義姉のことはわかっているのでしょうか?



途中で  また 新しいケアマネさんが書類を持って 部屋に入ってこられました。


ふたりで こそこそと打ち合わせをしたり

 
義姉が署名したり 印鑑を押したりしだすと


ますます 母が激怒しだしました。




「 おい!こら! ○○○!(実にはっきりと嫁の名前 もちろん呼び捨て) 私のことをあんたが勝手に決めるな~~!!! 」


義姉 びっくりして 私と顔を見合わせ


「 あらあ~ 名前ちゃんと言ってくれたわ~  笑 」って。



でも 私の名前は出てきそうにありません



「 こら! あんた嫁やろ! そやから あんたは他人や! 私のこと勝手に決めるな~!! 」


名前が出てきて しかも嫁と認識したことはすごい!


びっくりしました。


そうなると いろんな記憶がよみがえるようで


「 嫁なら はよ 私を はよ連れて帰れ!  あそこは 私がお金を出して建てた家や!  」



今まで 帰る!帰る!と、帰宅願望が激しいものの


どこの家に?というのは いまいちはっきりしませんでした。


むしろ 若いころの実家や、こどものころの家とかを想像しているみたいだったけど


ごく最近 住んでいた家を こういう形で はっきりと口に出したのははじめてで 愕然としました。



母は 私を無視して  嫁を攻撃し続けます。


でも


こういう母のあしらい方 義姉 非常に 上手です。



見習いたいけど 見習えない。


私は 耐え切れず すぐに逃げてしまいます。


でも 義姉も 内心 ものすごいダメージを負っているのもわかっています。
 

他人扱いされ、 親に建ててもらった家にのうのうと住んでいること しかも 親をこういうところに放り込んでと 責め立てられるのですから。


3年前の悪夢のような日々を思い起こさずにはいられなかったでしょう


まだ闘病中なのに可哀想・・・




あ~


早く帰りたい  



この場から逃れたい 



もう 私の頭の中は それしかありません



これ以上 この部屋で


母といることが耐えれません。






母の怒号で 胃が収縮しています。



なのに


しばし・・  義姉とケアマネが 部屋を離れました



そうそう


義姉が 離れる前に こんな会話しました。


義姉が 私に気付かってか


母に 「 ××ちゃん(私の名前)って だれ? 」と聞きました。


母も怒りを中断させ


「 ××?   ??  ××って 私の娘やがな! 」と。


そして 義姉が 私を指さして


「これ ××ちゃんやで 」と言うと


母は いぶかしそうに 私を見て 


「 違う・・・ 」と。(泣)

 


義姉が 部屋を出たあと


一瞬


気味の悪い静寂が訪れました。



でも なにか ひとこと ふたこと


母と会話したように思います。



なにを 話したか まったく覚えていません


なにもかもが


母のひとこと(いや 叫び?・・)で ぶっ飛びました。



とにかく 母が はっきりと 私を見据えて大声で言いました。(ほとんど叫び声)




「 わたしはな  あんたが  だいっ嫌いやねん!! 」





憎しみのこもった 吐き捨てるような言い方でした。


今まで言いたかったけど 言えなくて やっと言ってやった! って感じにも聞こえました。


私のこと誰だかわからないって言っていても 嫌いな感覚だけは覚えていたのでしょうか?





心臓が凍り付きましたね


ほんと・・・




なにかの間違い? とは 決して思いませんでした。



ずっと 昔から そう思ってましたし


いつか ブログにも書いたことありますけど


母 本人からも 実際に


笑いながらでしたけど


「 あんたなんか 生まれてこんで良かったのに・・・ 」


と言われましたからね。



母は 男の子(兄)ひとりで良かったらしいです。



しばらく そういうこと忘れていましたわ



ほんまに


そうなら 生んでくれんとけばよかったのに


なんで生んだんや? と聞き返したいです。


私が 男の子で次男だったら良かったのかもしれませんけど。




今や 息子の記憶があるのかどうかわかりませんが


あったとしても


息子から恨まれているなんて これっぽっちも思っていないでしょう



仲の良かったころしか頭にないのかもしれません



でもね


私 多分 顔はショックで青ざめていたでしょうけど



さらっと聞いたんです。



「 なんで?  なんで私のこと嫌いなん? 」って。


母 なんて答えたと思います?



「 んなもん ○○(兄の名)がかわいそうやからやわ・・・ 」って。


??


ちょっと こればかりは意味がわかりませんでした。


でも


兄を思ってのことらしいということだけは 理解できたので・・・


ますます 気が滅入ってしまいました。



母にとって 私はいらない子。


死ぬまで そうなんや


はっきりと悟りました。



ショックを通り越して  悲しいというより


なんだか ものすごく なにもかもが馬鹿馬鹿しくなりました。




帰りの運転中 なにも考えられませんでした。



胃袋に焼け火箸を突っ込まれたような感覚だけがありました。





ただ


ひたすら


母の 台詞だけがずっと ずっと 今も


多分 この先 ずっと


私が 死ぬまで 頭にこびりついて 回転しているような気がします。





もう 


母には会いたくないと 心底思いました。




いや


もう


会いに行くのはやめよう




心の奥底を知ってしまったから



もう あの目で 見られるのは耐えれない







義姉と私が帰るとき


スタッフさんが 


「 じゃあ お見送りに行きましょう 」と


母の車いすを 玄関まで押してきてくださいました。




私は 母の顔すら見たくなかったのに  


しかたなく 玄関でさよならしました。



母は 観念したのか


茫然と私たちを見送っていました。



私の見た感じでは 母は 全身の力が抜け 絶望のまなこをしていました。



あの母の顔もまた 一生忘れることはできないかもしれません






さっき


わたしをどん底に突き落とした人なのに・・



なのに


やっぱり わたしは 母が哀れで哀れでなりませんでした。



悔しいけれど・・・




そのあと どうなったのか


ごはんは食べれたのか


夜は 眠れたのか



気になって気になって しかたがありません


でも


施設には きょう 義姉が様子を聞いてくれることになっていたので


じっと 連絡を待ちました。



メールが来て 母の様子を知りました。


きのうは あと大変だったそうですが 夜はぐっすりと眠ったようで


きょうは 少しは落ち着いているようです。



きのうの 母の荒れようを見ていて


義姉とは しばらくは行かないほうがいいよねと 言いあっていますが・・・




今後も 私は 行く勇気がわくかどうか


今のところ 自信はありません




ほんとうに ショック状態が続いています。


きのうきょうで 1,5キロも体重が落ちました。


とっても この2日間で疲れてしまいました。




こんなこと ブログにすら書き留めたくなかったけど



もう 



この先ずっと 書く意欲すら湧かなかったら


今まで ずっと見守ってくださっている方がいらっしゃったとしたら


私としては 


なんの説明もないまま 勝手に終わらせるというのは


あまりにも不本意なことで・・・






また 長々と書いてしまいました。



最後まで 読んでくださって ありがとうございます。





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21 : 11 : 09 | トラックバック(0) | コメント(10) | page top↑
介護士A君と再会
2013 / 05 / 23 ( Thu )
きのう 今年の3月まで 母のいる施設で働いていた 母の大のお気に入りの若い男性介護士のA君が愛犬のトリミングにお店に来てくれました。


このブログにも何度も登場しているA君です。


辞める少し前に チワワを飼い出して、犬好きの母のために 休みの日にも チワワちゃんを連れて施設に来て、母を喜ばせてくれました。


母のアルバムを作ってくれたり、米寿のお祝いの写真入り色紙を作ってくれたり、辞める前には 母にせがまれてか毛染めまでしてくれた 本当に気持ちのやさしいA君。



多分 訳ありで辞めるのだろうと思っていたので、いつか話したいと思って、うちのお店も教えていました。


A君も ワンちゃんの手入れをお願いしたいと言っていたけど 完全に辞めるまでは そういう個人的な付き合いは もちろん禁止でしょうから すぐとは思っていなかったけど



でも・・・


かなり日も経ってきて 


そうやね やっぱり 彼も新しいところに移れば もう過去の利用者のことなんて 忘れていくんやろな?とか
少々寂しい気もしていたのですが 最近では すっかりあきらめていました。


それが突然 きのうお店に電話がかかってきて その日にワンちゃんのトリミングお願いしたいと。


当日予約は厳しいのですが、もちろん お店の子に 無理やり時間を作ってもらいました。
(実は 前の日に私の携帯に電話をくれたのですが、知らない番号なのでパスしていました。




約束の時間通り


駐車場に着いたA君のワンちゃんを迎えに行くと


あれ? 助手席に人影が?


「 あ 誰かいっしょなん? 」と聞くと


A君 ニヤっと笑って


「 かのじょ・・・ 」と。


いつか彼女の存在は聞いていたけど・・・・


なあんや きょうはデートも兼ねてるんや(笑)


そしてA君


「 知ってはる子ですよ 」 と続けた。



ええ~??  私が知っている子??



言うてるうちに 助手席から降りてきた女の子を見て ほんま びっくりしました。


なんと 母のお世話になっている施設の介護士Nさんではありませんか?!


そういえば A君が辞めたあと お会いしたことなかったな


しっかりした可愛い子。


昨年 母の利用料金が一気に上がったとき 母が特養に移るかもと思って泣いてくれた子です。



まあまあまあ びっくりして腰が抜けそうだったけど


そういや 今どき風のお似合いのカップルだなあ って感心もしました。



Nさんも A君と同時に辞めたらしく


今は A君はデイ施設、Nさんは特養で働いて コツコツと結婚資金を貯めているそうな。




ワンちゃんがトリミング中も 終わってからも


うちのお店のカフェで2時間以上も 積もる話に花にを咲かせました。


今でこそ聞かせてもらえる話も多々あって 驚いたり涙したり・・・


やはり A君が辞めたのは 母のことも絡んでいたようです。


細かい内容は書けませんが


なかなか A君は熱血漢です。(笑)


要は 母体の病院の事務方と現場のデイ施設で働く人たちとが しっくりいってなかったようです。



そして この前の 密告の電話の件を話すと


A君 驚いていました。


でも  その人とはかかわらない方がいいよと言われました。


理由は  「 なんかわけのわからない宗教を勧められるよ(笑) 」とのことで


かなり かわった方のようで 時々妄想めいた話もするようで


みんなには あまり相手にされていなかった方のようです。



その人のことは除外しても A君に言わせれば 介護のスタッフは みんないい人ばかりだったようです。


A君の話を聞いて安心しました。


私としては 密告の電話が 少々 尾を引いていましたから・・・




A君 今度の施設にも できれば母に会いに行きたいと言ってくれました。


しかも また 次の休みには ついでもあるのでしょうが 母に会ってくるそうです。



なんだか この3人で 母の話をしだすと むっちゃ盛り上がってしまいました。


はじめて Nさんと こんなじっくりと話したけど 聡明で機転が効いてとっても優しい子という印象を受けました。


A君もなかなかやるな(笑)


母のことだけでも話題満載なのに


ワンコの話になるとますます・・・



もうひとり 例の これもまた母のお気に入りだった陽気な男性介護士小山さん(去年辞められて 今は特養で働いておられるそう)も誘って 一緒に飲みに行きましょうなんて 誘われてしまいましたよ!(笑)


バラバラになったけど 今でも皆さん仲良くやっているようです。


私も 母に負けじ劣らず 若い子大好き人間なもんで( あ 私の場合 男女通じてです 笑 )


親子以上に年が違っても 母の話題が肴で盛り上がるのは 間違いなしですけどね。


仕事が仕事なだけに


まあ なかなか みんな都合のいい日が見つかるとは思えませんが


これからも ワンちゃんのトリミングには来てくれるようです。



あ それから 彼女のNさんもまた 今度 母が移る施設にも働いていたことがあったようで いい施設のように言ってくれたので ホッとしました。







月曜日に 母の面会に行ってきました。


当然


施設を移る話になると思って あれこれ受け答えを考えて行ったのですが


なんと


なんと 母の頭の中には 施設を移るという記憶のかけらもございませんでした。(汗  


あの若い男性介護士さんふたりに浮かれてたのも 一瞬の出来事だったようです。



私の手を取って


「 ここで喋る人おらんねん 寂しいて 寂しいて・・・涙    そやから あんた帰ったらあかんで! 」


と泣かれました。


ええ? こんなに人がいっぱいいるのに寂しいのん?


そりゃ やっぱ特養は無理だわ


でも うむ


きょうは どうやら 私のこと 娘だと認識しているようで手ごわいぞと思ったのもつかのま


「 信ちゃんはどうしたんや!?  いっこも来んがな!  ほんまに親を放ったらかしにしてからにぃ!  」(注:信ちゃんとは 父と同じく20年以上前に他界した母の実姉)


へ??


きょうは 信ちゃんが子供になっていました。


いったい 最近の私は 母にとって何者なんでしょう?


しばらく一緒にいたら


母が喋る相手がいないというのは 若い男性がいない!ということなのだとわかりました。


最近 見かける男性介護士さん(きのうA君に聞いた話 なんだかケアマネさんだとか。失礼しました!) 40才だということですが 隣に来て なにやかやお世話を焼いてくださいます。


なのに・・・


母 まったく無視!


私 気遣いまくりです。


そして 送迎のおじさんもご機嫌伺いに来てくれはります。


そこで 母 一喝!


「 もう おじんばっかりやん!!  」


すみません(滝汗


この時ばかりは 施設を移る事になって 良かった!と つくづく思ってしまいました。



最近は なんだかんだ母の用意するものが大変です。


細々したものは義姉にまかせていますが  テレビや冷蔵庫 カーテンまで用意するんですよね。


仕事が休みの日に 駆け回らねば。





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